Eyes on Tibetについての意見、反応 RSSフィード
 

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6essaessa   「生きてみた感想」さんから

たいていの場合、ものごとはほとんど変わらないように見えていながらほんの少しずつ変わっていきます。社会もまた人間の体と同じく急激な変化には耐えられず、それが新しく変わっていくためには、適切な変化の速度というものがあるわけです。この見方は、おそらく「穏健な保守」の考え方だと思います。しかし着実な変化への自然的傾きが無理やりに抑圧されているとき、ひずみが少しずつたまっていきます。ここに、大きな痛みをともなう変革のポテンシャルが増大していくのだと思います。このポテンシャルは、路地や部屋の片隅で、囁くように溜め込まれていく。

この溜め込まれたポテンシャルは、必ずどこかで噴出します。僕はよく知りませんが、おそらく歴史的にみて、この噴出はこれまでつねに広場で生じてきたのではないでしょうか。ほんのささいなきっかけが、急激に不穏な空気をある一帯に瀰漫させ、人びとの身ぶりやささやきが、なにやら急き立てられたように険しくなっていく。そのとき人びとが向かうところ、それが広場です。広場において多くの身体が出会い、言葉や身ぶりやあるいはただその存在だけでお互いを触発しあう。そこでささやきは叫びに変わり、個々の身体は集団的身体と化して、溜め込まれていた不満や怒りが幾何級数的に増幅されていき、一気に激発する。

(中略)

長くなりましたが、essaさんが提案された「 一日一チベットリンク / Eyes on Tibet 運動」というのは、インターネットという巨大広場のなかに「チベット」という一角を作り上げ、そこにワラワラと集まって「何か」が起こる気配をどんどんと醸し出していこうとするものだと思います。

変革はつねに広場で起こる——チベットへの道 - 生きてみた感想
返信2008/03/30 08:49:15
  • 6「生きてみた感想」さんから essaessa 2008/03/30 08:49:15
    たいていの場合、ものごとはほとんど変わらないように見えていながらほんの少しずつ変わっていきます。社会もまた人間の体と同じく急激な変化には耐えられず、それが新しく変わっていくためには、適切な変化 ...